倶楽部の歴史

福澤諭吉の原点

福澤諭吉は1835(天保5)年、中津藩の下級武士、福澤百助の次男として大阪の中津藩蔵屋敷で生まれ、生後18ヶ月にして父を亡くすと、一家あげて藩地中津に帰ることとなった。
中津での福澤は、父の遺風と母の感化力で「厳ならずして家風正しい」家庭生活を送った。14、5歳からは学問にも目覚めて漢学を学ぶ。
 1854(安政1)年、兄の勧めで長崎に赴き、蘭学の初歩を学んだ福澤であったが、翌年には江戸行きを志し、途中立ち寄った大阪で兄三之助に止められて江戸行きを諦めることとなり、大阪で緒方洪庵の適塾に入門することになった。
師洪庵は適々斎の号が示すように、「自分の心に適するところを適として楽しむ」(梅渓昇『緒方洪庵と適塾』)、すなわち医学者、教育者として人のために尽くすことを自分の適とする学風の持ち主だった。
そうした適塾での生活は、蘭学修行と人間形成の両面において、福澤の全生涯を決定づけるほどに重要な意味を持つことになった。

福澤諭吉誕生の地

福島区福島一丁目の玉江橋北詰。元大阪大学医学部附属病院のあった所。同地には誕生地記念碑が建っている。

誕生地記念碑

教育と行動指針

適塾から育った福澤の思想は、明治の初期、「東洋の儒教主義と西洋の文明主義を比較してみるに、東洋になきものは、有形に於て数理学と、無形に於て獨立心と、此の二點である」(『福翁自伝』)という地点に到達していた。
また、慶應義塾の卒業生は、道徳的には、「気品高尚にして能く独立の趣意を全うする者」(『福翁自伝』)とも述べている。
 福澤は、独立心に満ち、道徳的には、気品高尚な人を求めていた。
このような人間の育成について、家庭教育での躾、あるいは、学校教育の中でどのように育くむことがよいのか。
その目標こそが「終身要領」にある「独立自尊」の精神にあった。

福澤直筆の「慶応義塾の目的」

大阪と福澤諭吉

福澤諭吉は、1835年1月10日(天保5年12月12日)大坂に生れた。
父百助は当時、回米方として玉江橋北詰にある中津藩蔵屋敷に勤務していた。だが翌々年、諭吉18ヵ月の時に急逝し、残された一家は中津へ帰らねばならなくなった。
  この時諭吉の兄と3人の姉は、それぞれ10歳、7歳、6歳、4歳でみな大坂に生まれ育っていた。すっかり大坂の習慣に馴染んでいた兄弟姉妹が、中津に帰って他の子どもたちとはなかなか交流できなかった様子が『福翁自伝』には語られている。福澤が再び大坂に住むことになったのは、1855(安政2)年5月、20歳のちきであった。
 蘭学を学び続けたいと考えていた福澤は、当時大坂に在勤していた兄のすすめで、北浜にある緒方洪庵の適塾に入門し、1858(安政5)年10月までの3年余りを大坂で過ごした。さらに後年、慶應義塾を創立した福澤諭吉は、各地の人々にも英学教育の機会を与えたいと考え、その最初の試みとして1873(明治6)年に設置したのが大坂慶應義塾であった。

適塾

緒方洪庵が福澤が学んでいた塾。中央区北浜3丁目にあり、現在は記念館になっている。
重要文化財。

適塾外観

大阪慶應倶楽部の歴史

1930年2月中旬
6月

7月17日
発起人会並びに設立委員会を開催
大阪市東区高麗橋3丁目 千代田生命保険大阪支部内に設立事務所を置く

大阪慶應倶楽部設立 創立総会と発会式を大阪市北区堂島 堂島ビル10階において挙行
1946年

11月21日
戦後の再建のため千代田生命の小部屋に連絡場所を設置 丘食堂の一部に倶楽部らしい形態を持つ
新発足記念祝賀会を開催(大丸特別食堂)
1948年大阪市北区高垣町99に移転
1950年大阪市北区絹笠町50番地 堂島ビル7階に復帰
1955年7月20日創立25周年祝賀会開催
1958年10月25日大阪慶應倶楽部会報 義塾創立百年記念号発行
1961年大阪市東区平野町4-35 千代田生命ビル9階に移転
1962年福澤諭吉誕生地碑 東へ50m移設
(大阪大学医学部付属病院新築工事のため)
1978年9月17日
7月19日
第2回関西合同三田会大阪にて開催(万博記念公園)
倶楽部創立50周年祝賀会・第4回関西合同三田会 和歌山三田(50周年)と大阪にて共同開催(ロイヤルホテル)
1984年10月10日第8回関西合同三田会大阪にて開催(万博記念公園)
1985年1月13日誕生150年福澤諭吉生誕地碑除幕式(中津藩蔵屋敷跡地へ移設)
1989年10月22日第13回関西合同三田会大阪にて開催(大阪湾遊覧)
1991年1月
10月13日
大阪慶應倶楽部報 第1号発行
第15回関西合同三田会大阪にて開催(梅田センタービル)
1997年11月9日第21回関西合同三田会大阪にて開催(WTC・ホテルハイアットリージェンシー)
2000年7月17日大阪慶應倶楽部創立70周年記念祝賀会開催(ホテル阪急インターナショナル)
2001年7月17日

8月22日~8月28日
8月22日
10月17日
福澤諭吉先生没後100年 第71回大阪慶應倶楽部創立記念会開催(ホテル阪急インターナショナル)
福澤諭吉没後百年記念大阪展(慶應義塾主催)開催(阪急百貨店梅田本店)
特別講演会及び記念レセプション開催(ホテル阪急インターナショナル)
第1回若手交流会
2002年9月28日第1回錢高会長杯ゴルフコンペ
2003年4月
11月16日
大阪市中央区北浜3-2-12 北浜永和ビル3階に移転
第27回関西合同三田会大阪にて開催(大阪市中央公会堂)
2004年9月22日第1回中年交流会
1930年 
2月中旬
6月
7月17日
発起人会並びに設立委員会を開催

大阪市東区高麗橋3丁目 千代田生命保険大阪支部内に設立事務所を置く
大阪慶應倶楽部設立 創立総会と発会式を大阪市北区堂島 堂島ビル10階において挙行
1946年
11月21日
戦後の再建のため千代田生命の小部屋に連絡場所を設置 丘食堂の一部に倶楽部らしい形態を持つ
新発足記念祝賀会を開催(大丸特別食堂)
1948年大阪市北区高垣町99に移転
1950年大阪市北区絹笠町50番地 堂島ビル7階に復帰
1955年
7月20日
創立25周年祝賀会開催
1958年
10月25日
大阪慶應倶楽部会報 義塾創立百年記念号発行
1961年大阪市東区平野町4-35 千代田生命ビル9階に移転
1962年福澤諭吉誕生地碑 東へ50m移設
(大阪大学医学部付属病院新築工事のため)
1978年
9月17日
7月19日
第2回関西合同三田会大阪にて開催(万博記念公園)

倶楽部創立50周年祝賀会・第4回関西合同三田会 和歌山三田(50周年)と大阪にて共同開催(ロイヤルホテル)
1984年
10月10日
第8回関西合同三田会大阪にて開催(万博記念公園)
1985年
1月13日
誕生150年福澤諭吉生誕地碑除幕式(中津藩蔵屋敷跡地へ移設)
1989年
10月22日
第13回関西合同三田会大阪にて開催(大阪湾遊覧)
1991年
1月
10月13日
大阪慶應倶楽部報 第1号発行

第15回関西合同三田会大阪にて開催(梅田センタービル)
1997年
11月9日
第21回関西合同三田会大阪にて開催(WTC・ホテルハイアットリージェンシー)
2000年
7月17日
大阪慶應倶楽部創立70周年記念祝賀会開催(ホテル阪急インターナショナル)
2001年
7月17日
8月22日~
8月28日
8月22日
10月17日
福澤諭吉先生没後100年 第71回大阪慶應倶楽部創立記念会開催(ホテル阪急インターナショナル)
福澤諭吉没後百年記念大阪展(慶應義塾主催)開催(阪急百貨店梅田本店)
特別講演会及び記念レセプション開催(ホテル阪急インターナショナル)
第1回若手交流会
2002年
9月28日
第1回錢高会長杯ゴルフコンペ
2003年
4月
11月16日
大阪市中央区北浜3-2-12 北浜永和ビル3階に移転

第27回関西合同三田会大阪にて開催(大阪市中央公会堂)
2004年
9月22日
第1回中年交流会

歴代/代表理事・理事長・会長

1930年代表理事津田 信吾(鐘淵紡績(株)社長)
1931年代表理事村瀬 末一
1932年代表理事佐藤 暦治郎(錦華紡績(株)社長)
1933年理事長奥村 信太郎(大阪毎日新聞社社長)
1951年会長宮原 清(神島化学(株)社長)
1961年会長杉 道助(大阪商工会議所会頭)
1965年会長飯田 慶三((株)高島屋社長)
1970年会長中司 清(鐘淵化学工業(株)会長)
1972年会長高橋 信三((株)毎日放送社長)
1980年会長井上 徳治(鐘淵化学工業(株)相談役)
1987年会長牧野 直隆(カネボウ化成(株)特別顧問)
1990年会長小林 公平(阪急電鉄(株)社長)
2001年会長錢高 一善((株)錢高組社長)
1930年代表理事 津田 信吾
(鐘淵紡績(株)社長)
1931年代表理事 佐藤 暦治郎
(錦華紡績(株)社長)
1932年代表理事 佐藤 暦治郎
(錦華紡績(株)社長)
1933年理事長 奥村 信太郎
(大阪毎日新聞社社長)
1951年会長 宮原 清
(神島化学(株)社長)
1961年会長 杉 道助
(大阪商工会議所会頭)
1965年会長 飯田 慶三
((株)高島屋社長)
1970年会長 中司 清
(鐘淵化学工業(株)会長)
1972年会長 高橋 信三
((株)毎日放送社長)
1980年会長 井上 徳治
(鐘淵化学工業(株)相談役)
1987年会長 牧野 直隆
(カネボウ化成(株)特別顧問)
1990年会長 小林 公平
(阪急電鉄(株)社長)
2001年会長 錢高 一善
((株)錢高組社長)

倶楽部の発行物

大阪慶應倶楽部では、年に数回「大阪慶應倶楽部報」を発行しています。

昭和29年発行
平成3年発行
平成13年発行